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東京高等裁判所 昭和60年(ラ)115号 決定 1985年6月13日

抗告人 磯野花子

相手方 磯野健 外三名

被相続人 磯野剛

主文

原審判を取り消す。

本件を東京家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は別紙「抗告状」記載のとおりである。

二  本件記録によると次の事実を認めることができる。

1  抗告人の夫であり、相手方らの父である被相続人(大正元年八月二日生)は昭和五七年一月一六日東京都千代田区内の病院で死亡し、同日相続が開始された。被相続人の相続人は妻である抗告人と子供である相手方らのみであり、その法定相続分は抗告人が二分の一、相手方らが各八分の一である。

2  本件は、抗告人が昭和五七年二月二二日東京家庭裁判所に対して被相続人の遺産の分割について調停の申立をしたが、昭和五八年三月三日調停不成立により審判に移行したものである。

3  右調停、審判手続において、抗告人は、原審判別紙目録(一)記載の財産が相続財産であるとしてその分割を求め、他方、原審判別紙目録(二)記載の不動産は抗告人が自己資金で購入もしくは建築したもので、相続財産ではない旨主張する。

4  これに対して、相手方らは同目録(一)記載の財産中一、二の土地については寄与分を主張し、四の退職金についてはその存在を否認し、五の家賃債権は現存せず、七の持分は一六〇万円のみが相続財産であり、さらに同目録(二)記載の不動産及びカメラ等の動産も相続財産であると主張し、昭和五九年一一月二日ころ、抗告人を被告として東京地方裁判所に抗告人の所有名義である同目録(二)の一ないし七、九、一〇の不動産については本件相続を原因とする所有権移転登記を抗告人二分の一、相手方ら各八分の一の割合による共有持分の移転の登記に改める更正登記手続を、同目録八記載の未登記建物については相手方らに各八分の一の共有持分があることの確認を求める訴訟を提起した(同裁判所昭和五九年(ワ)第一二四八五号所有権移転登記更正登記手続等請求事件、以下「本件民事訴訟」という。)。

5  相手方らは、右訴訟を提起したことから、昭和五九年一一月二目東京家庭裁判所に対し、本件民事訴訟の帰趨が本件遺産分割に影響を及ぼすとして本件審判事件の手続の停止を求める上申書を提出し、抗告人も昭和六〇年二月六日同裁判所に対して本件審判事件の期日については当分の間追つて指定とされたいとの上申書を提出したところ、同裁判所は同年三月四日付けで被相続人の遺産全部について昭和六三年三月三一日までその分割を禁止するとの審判(原審判)をなした。

以上の事実が認められる。

三  そこで、右認定の事実を前提に抗告理由について判断する。

1  審判手続の違法について

抗告人及び相手方らが東京家庭裁判所に提出した前記上申書は本件民事訴訟の結論が得られるまで本件審判事件の進行を停止することを求めるものであつて、本件遺産の分割の禁止を求めるものではないことはその文言から明らかであり、東京家庭裁判所が原審判をなすにあたつて、抗告人及び相手方らから遺産の分割を禁止するについて意見を徴したことは本件記録からは見出せない。

しかし、家事審判法、家事審判規則によるも、抗告人主張のように遺産分割禁止の審判をするにあたり事前に当事者の意見を徴さなければならないとの規定はなく、家事審判手続は家庭生活に対して国家が後見的に干渉、指導するとの立場から職権調査を前提とし、具体的妥当を期して裁量的処理をなす手続であると解されていることからすれば、民法九〇七条三項に基づく家庭裁判所による遺産の分割禁止も、家庭裁判所が後見的立場から紛争の状況に応じて適宜これをなすことができるものであつて、事前に当事者の意見を聴取しなかつたからといつて、右審判が違法となるものではなく、抗告人のこの点についての主張は失当である。

2  民法九〇七条三項の「特別の事由」が存しないとの主張について

家事審判法九条一項、民法九〇七条三項は、家庭裁判所は遺産の分割にあたつて、「特別の事由」が存するときは審判によつて遺産の分割を禁止することができる旨定めているが、右の「特別の事由」は、民法九〇六条に定める分割基準からして、遺産の全部又は一部を当分の間分割しない方が共同相続人ら全体にとつて利益になると思われる特殊な事情をいうものと解するのが相当である。そして、家庭裁判所は遺産の分割に関する処分の前提となる相続財産の範囲について当事者間に争いがある場合であつても、審判手続において右前提事実について審理判断したうえで分割の審判をすることができる(最高裁判所昭和四一年三月二日大法廷決定、民集二〇巻三号三六〇頁参照)ことからすると、本件のように単に相続財産の範囲について相続人間で争いがあり、その一部の財産について民事訴訟が係属しているというのみでは未だ右「特別の事由」があるとはいい難いといわなければならず、抗告人の右抗告理由は理由がある。

四  そうすると、本件抗告は理由があるので、家事審判法一四条、家事審判規則一九条一項を適用して原審判を取り消して本件を東京家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 鈴木重信 裁判官 加茂紀久男 片桐春一)

抗告の理由

一、民法九〇七条三項は、「特別な事由」があるときは、遺産の分割を禁ずることができる旨定めるが、この「特別の事由」が何かは、「共同所有は可及的に早く単独所有に解体すべきであるという民法の要求にかかわらず、一定の期間遺産の分割を延期せねば、相続人の一部または全部、さらに家庭生活の維持に不当な影響を及ばす場合」「当事者のため経済的に利益で、しかも、家族間(当事者間)の感情的融和がはかられると考えられる場合」ということであり、具体的に決するについては「相当に厳格に解すべし」とされている。

二、民法九〇七条三項の右趣旨に照し、原審判には、

1、審判手続に違法がある

2 目録(一)の財産につき、「特別の事由」が存しないのに分割禁止の審判をなした違法がある

ものである。

三、審判手続の違法について

1、分割禁止は、民法の原理、原則を制限するものであり、相続人各人に重大な影響(経済的且つ精神的)を与え、場所によつては火に油をそそぐ如く紛争を大きくする危険さえ存する上、利害関係人(相続人に対する債権者ら)への影響も配慮しなければならない事項である。

従つて、裁判所が分割禁止の審判をなそうとする場合には、少くとも、これに関する当事者の意見・見解を聴聞すべきである。

ところが、原審は、当事者に意見を述べる機会さえ与えていない。

2、すなわち、初ず、相手方らは、昭和五九年一一月二日、目録(二)の物件につき本訴を提起したから審判手続を停止されたい旨上申し、これに対し抗告人は、昭和五九年一二月一八日、目録(一)の財産については、遺産であることに争いがないのであるから審判を給りたい旨上申した。

右に対し、原裁判所から、「本訴の進行状況をしばらく見るということで期日は追つて指定ということにしてはどうか」「本訴の裁判所で和解をしてもらつてはどうか」等のかなり強い御意見があつたため、抗告人は、とにかく本訴を早急に進行していただくことが先決と考え、原審のお勧めに従つて、審判手続の期日は、追つて指定の取扱いとしていただいた。

このことについては、相手方らにも、勿論異議はなかつた。

なお、抗告人の昭和六〇年二月五日付の上申書(本訴を早急に進めること、期日は当分の間追つて指定にされたい旨)は、原裁判所の要請に従い提出したものである。

3、右のとおり、原裁判所は、期日を追つて指定とし、しばらく本訴の進行状況をみるとの方針を決め、当事者双方もそのつもりで本訴を進めていたところ、全く突然、一ヶ月も経過しないうちに、当事者の意見を何ら聞くことなく、本審判をなしたものである。

4、原審判がなされた右手続は、裁判所のなす手続としては偏頗な手続といわざるをえず、審判手続が民事訴訟手続に比べ職権主義的な面が強いとはいえ、全く当事者の意見を聞かずいわば不意打的に裁判をなすことまで認めるものとは思えない。

原審判には明らかに手続上の違法がある。

二、目録(一)の財産(遺産)につき、民法九〇七条三項の「特別な事由」は存しない。

1、初ず、原審は、前提事実を誤認している(原審判の理由第三項本件の争点記載部分)。

イ、抗告人は、目録(二)の財産につき寄与分の申立をなすことなど検討したことはない(目録(一)の遺産については、相手方らの寄与分の申立に応じ、これを検討している)。

目録(二)の財産は、書証(売買契約書、請負契約書、領収証、借入金に関する書類等)や取得の時期からして、遺産でないことは明白であり、だからこそ、相手方らもこれまで積極的には争わなかつたのである。

ロ、相手方らが、寄与分を申立てているのは、目録(一)の物件、財産についてのみである(申立書により明白である)。

2、目録(一)の遺産につき、三年間も審判で分割を禁止しなければならない「特別の事由」につき、原審は、前記第一項に該当する具体的な理由を何ら判示していない。

これだけでも原審には「理由不備」の違法がある。

3、さらに、目録(一)の遺産は、現在分割されても何ら不都合なものはなく、逆に有限会社の持分等は早期に分割されなくては、会社運営上種々の不都合を招来し、当事者間の感情的対立を徒に深めるだけである。

4、原審は、「特別の事由」なき本件において、全く無用有害な審判をなしたものである。

〔参照〕原審(東京家 昭五八(家)一八〇八号 昭六〇・三・四審判)

主文

被相続人の遺産全部について昭和六三年三月三一日までその分割をなすことを禁止する。

理由

一 申立の趣旨

申立人は、被相続人の遺産について適正な遺産分割の審判を求めた。

二 相続人の開始、共同相続人、法定相続分

本件記録によれば、

1 被相続人(大正元年八月二日生)は、昭和五七年一月一六日東京都千代田区で死亡し、同日同人について相続の開始したこと、

2 同人の相続人は、配偶者である申立人と、子である相手方四名のみであること、

3 右相続人らの法定相続分は、申立人が二分の一、相手方四名が各八分の一であること、

を認めることができる。

三 本件の争点

1 本件の主要な争点は、遺産の範囲と、これに関連する相続人らの寄与分である。即ち、

(一) 申立人は、別紙目録(一)記載の物件が遺産である旨主張しこれの分割を求めており、相手方四名の主張に対しては、別紙目録(二)記載の物件は申立人が自己の資金で購入しその旨所有権移転登記手続を経由(但し、同目録八を除く)したもので申立人の所有に属する旨反論し、仮に後記民事訴訟の結果右物件が遺産であつて相手方四名も持分を有することが確定した場合には改めて寄与分の申立をなすことも検討している。

(二) 相手方四名は、別紙目録(一)記載の物件(その一部については遺産でないとの主張がある。)のほか、別紙目録(二)記載の物件も申立人名義で登記手続は経由されているものの(同目録の八を除く)、その実質は被相続人の遺産である旨主張してきたが、昭和五九年一一月二日東京地方裁判所に、本件申立人を被告として、同目録一ないし七、九、十について法定相続分各八分の一宛更正登記手続を、同目録八について各八分の一の共有持分を有することの確認を求める民事訴訟を提起した(同裁判所昭和五九年(ワ)第一二四八五号)。更に相手名四名は、被相続人の遺産の維持増加に貢献したとして寄与分を定める審判の申立をなした(東京家庭裁判所昭和五九年(家)第一〇九四八号、第一一〇二八号ないし第一一〇三〇号)。

(三) 当裁判所の申立人に対する審問の結果によるも、別紙目録(二)記載の物件が申立人の自己資金又はこれと同視しうるもののみで賄なわれたとはにわかに断定し難く、またこれらが遺産であると速断する資料もない。右物件の遺産性について判断するには更に相当の証拠調、事実の調査等の審理をなす必要があると考えられる。

2 以上の経過、事実関係に照らして検討すると、本件のような場合に当裁判所が採りうるものとして次の四方法が考えられる。(但し、遺産性について概ね争いのない別紙目録(一)記載の物件を「A物件」、争いのある同目録(二)記載の物件を「B物件」という。)

(一) B物件についても更に必要な審理を尽したうえ全遺産の範囲を確定し分割する。

(二) A物件についてのみ先ず一部分割を行い、B物件については更に必要な審理を尽し、その結果遺産であるとの心証を得られた物件について更に分割する。

(三) A物件について先ず一部分割を行い、B物件については分割の禁止をする。

(四) 全遺産について分割の禁止をする。

しかし、右(一)、(二)の方法は、B物件の遺産性の判断が容易ではなく、これを判断をするためには、更に既に提起されている民事訴訟と同程度の審理をする必要がある本件のような場合には、同種の手続を二つの場で行うことになつて当事者にとつても負担であるし、仮に民事訴訟と審判で判断を異にする場合には既判力ある民事訴訟の判決が優先するのであるから、むしろ右民事訴訟の結論をまつて審判手続を進行させるのが合理的である。

右(二)、(三)の方法は、とりあえず分割可能な物件を分割するという意味では当事者にとつても利益であるが、後日B物件中に遺産であると判断されるものがあつた場合には((三)の場合は分割禁止期間経過後)、その物件を分割すれば足りることもあれば、新たな遺産の重要性等から先に分割された物件も含めて分割方法を定めなければ著しく合理性を欠くとされることもありうるが、本件の場合は遺産の内容等から後者とされる可能性あることを否定できず、加えて本件相手方らのなす寄与分の主張についての判断も遺産の範囲の確定とは無関係であり得ず、B物件については右(一)の場合について述べたように結局民事訴訟の結論をまつて分割手続を進めることにならざるを得ないことを併せ考えると、結局相当な方法とはいえない。

そうすると消極的選択ではあるが、右(四)の方法を採るのが相当ということになる。この方法は遺産分割全体を遅らせるという意味では当事者にとつて不利益であるが、他の方法がいずれも相当でないこと、しばらく分割を禁止しても当事者の生活に特段の支障もないと認められること、長期的には全遺産を一括して分割するほうが当事者の利益にもかなうと考えられることからすれば、結局最も適切な方法ということができる。そして、前記経過によれば、その分割禁止の期間は三年間程度をもつて相当と考える。

四 よつて被相続人の遺産全部について、昭和六三年三月三一日までその分割を禁止することとして、主文のとおり審判する。

別紙 物件目録<省略>

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